死刑廃止論について

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映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」が好きです。

だからといって、感情論で、こういう難しい論議に加わる気持ちはさらさら無いのですが、一個人として意見を書いて残しておくことと、一個人として社会に対して意見を発信するのは大切かと。
また、いつ発信したか?その時の意見はどうか?今の意見は?意見に変わりがないか?変わったならその理由は?等は全て考慮すべきで、大切なことと思います。

「おまえ!自分の家族や大切な友人が殺されても、捕まった犯人がのうのうと生きていくのを黙って見てられるのか!!」

って意見(?)を先に書いておきます。これは本質の中のひとつだから先に書きますけど。

あらたのの意見は「『国と時代』によって、死刑は無い方がよい。」というのが基本です。で、今の日本ではどうかというと、死刑は無い方がよいと思っています。それも即刻一旦凍結すべきと思います。たぶんこれから先の日本では、たった今からでも死刑は廃止して、10年程度凍結すべきでは。これが私の意見の中としての『国と時代』です。

貧困がテロや暴力を生み、搾取があって貧困が広がる。ニワトリと卵みたいです。どっちが先かよくわかりません。有史以来のようだし、あらたのは歴史学者でもないし。

社会格差と拝金主義、華やかな世界の報道と、自分の日々の現実が、現在の日本では、「絶望」を日々着々と「量産」しているのは間違いのない事実です。為政者はこのことにもっと危機感を持たなければならないでしょう。
一方、「希望」を「量産」するには、補助金や事業融資、支援金、社会保障だけでは、まったくもって完全に足りません。(いや、もっと金を出せって言ってんじゃないよぉ。お金以外のモノだってば!)

hrimage.gif「希望」は必要です。間違いなく。人間である以上。どうも他の動物たちと違うモノを人間は獲得してしまった。「希望」がなければ生きていけないのです。「希望」が消えないように、私達は日々暮らしに工夫をしています。あらゆる努力を払って。

「絶望して、死を選択したいが、死ぬ前に自分の存在を誇示したい。」そんなタイプの犯罪が、少なからず増えてくるだろうと震災前(1994年)から、あらたのは予測していました。

「希望の持ち方を知らない。」「希望を生み出すことが出来ない。」「努力したけど報われない。」「死にたい。」という人は結構多いでしょう。「死ぬ前に、もうメチャクチャやりたい。」と言う人もいると思います。そういう人は、少しでも前向きに一緒に考えて答えを探してくれる人を必死で探してください。とだけはあえて書いておきます。メディアは一過性で『絶望』の『事実報道』が多く、この『希望』や『希望を見つける、あるいは探す』パートが無いか、圧倒的に不足しています。

秋葉原の殺傷事件に象徴される、この種の「勝手な負け組意識」と「勝ち組への報復」は、ほとんどの場合、「勝ち組」と称される実体への報復にはならず、反撃力のない児童や女性、一般人にその牙が向けられます。あらたのは、「勝ち組」「負け組」という言葉自体を忌み嫌っているというのは、何度も公言し、ボランティアサイトでも書いていますが、ここでは本題からそれますのでここまでとして。。。

結果的に、容疑者あるいは、犯人が、「死刑にしてくれ」などと、死刑を期待する発言。それに呼応するように、この8年間の死刑執行は、この期間の杉浦法務大臣を除く※1、それぞれの法務大臣の確実な執務の元で躊躇無く執行されています。

※1 -- 弁護士出身で真宗大谷派の信徒である杉浦正健法務大臣は、11ヶ月の在任中で死刑執行を行っていません。職務を執行しないのであれば法務大臣を受けるべきではないとの強い批判もあったようですが、本件について、漂泊旦那さんよりご指摘がありましたので訂正しました。

その数は1980年から1989年の10年までが15人だったのに対し、1993年から2002年までの10年で43名とほぼ3倍となっています。さらには、2002年から2008年(9月現在)までの7年間は突出していて、30名。特に2005年以降の突出があまりにも目立ちます。(※これらの数値は、「漂泊旦那の漂流世界」に依る。アムネスティ・インターナショナル日本と連携している、フォーラム90の掲示する数値も、若干の違いはありますが、ほぼ同数です。漂泊旦那さん。貴重な資料を有り難うございます。また、死刑執行数だけではなく、死刑判決数、死刑確定囚の数を比較してみてはどうか?※2とのご指摘を頂きました。)

※2 -- 今後、自分なりに勉強してみようと思います。有り難うございました。

あらたのは、『希望』や『絶望』の言葉をもって感情論をここで展開する気は毛頭ありません。むしろ冷静に理路整然と、本当に死刑制度が『今の』『日本で』適切かどうかを議論するべきである。と思いますし、日本の国の、司法、立法、行政という重要な機関が、もしも深く思索し、議論して事を運んでいないなら、これは日本の危機と言わなければならないでしょうね。

実際、いまの政治家の皆さんは、とても残念ですけど、ほとんどが政局と、次々に発覚する、あるいは、起こる不正・偽装への対応に必死です。それは必死で隠蔽にまわる方の政治家さんと、修復・改善に必死になってる政治家さんの両方を意味して書いてますけど。

死刑執行は、今のままでは、さらに加速度的に増えることは疑う余地がないです。「透明のまま死にたくなくて、でも自分では死ねなくて」「誰かとネットで集団自殺もできなくて(社会問題になってやりにくくなっているし)」、「じゃあ死刑になりたくて殺人をしよう」という所に流れ着いた悲しい人に、死刑が抑止力として働く道理がないからです。

年間の自殺者が一向に減らないことも合わせて、私は『希望』をどうすれば持てるかということを、真剣に考える角度が必要なのではないかと強く思いますし、一人ぐらいこういう角度の考察があってもいいんじゃないかな。他にも同じように考えてる人がいると期待しますけど。

最初に戻って、「殺された人と、その家族友人の気持ちになって見ろ!」という感情的な論調を良く聞きますし、インターネットでも見かけますが、当事者の言葉には重みがありますが、それは第3者には、完全なトレースは出来ないという無理があります。

参考までに、冤罪について。捜査・逮捕・立件を行うのも人間
免田事件 - Wikipedia
冤罪や不当な捜査・取り調べは過去のものではないし、これからますます要注意
志布志事件 - Wikipedia

最後に、殺された人の家族や友人のことを思う気持ちと同じように、無罪を主張し続けて獄死された方や、長い獄中生活の果てに無罪となった方の長い長い苦痛と、それを支えた家族のことを思う気持ちもあるわけですから、その数や内容を論ずるのではなく、むしろそれらは分離して、犯罪を減らすことが最初の出発点であると言うことを忘れてはならないと思います。

凶悪な犯罪を減らす抑止力として定義した死刑の、約10年のスパンという、けっして短くないサンプリングの果てに、結果として悲惨な事件が後を絶たないと言うことに対して、あらたのは、死刑という刑罰の、今後10年間の凍結と正確な犯罪統計を主張したいですね。

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